139 通知表にない評価と見えない努力
項目が無い評価の“可哀想さ”について
項目が無いから、評価に値しないのが可哀想でならない。
学校には学期末に必ず『通知表』があります。
様々な項目がある中で、
それぞれの評価が成されている訳ですが、
『項目に無い項目』があるという現実って…皆様は理解出来ますか?
掘り下げていけば…項目を作り、書面にする事は出来る。
しかし、昔からの慣習や通知表の内容に “付け足し” などは大事になるので、
結局これまで通りの項目でしか無い!となるのが見えています。
政治に見る「評価されるもの/されないもの」
それに一番近い例で言えば、
政治家の活動などがそれに当たると思います。
子育て支援や年金、消費税等、
いわゆる “地域密着” に向けて、積極的に活動する政治家は、
有権者から応援されて一票に繋がると考えます。
しかし一方で、
外交や防衛といった “国際情勢” に関する政治活動は、
国レベルでは極めて重要な役割であるにも関わらず、
住民レベルでは一票に値しにくいのが現状です。
見えるものと見えないもの
目に見える活動、
NHKの中継に映っているなら
「お仕事してる!」と見なされる。
逆に、国民に知らされない・関心の無い
『水面下での活動』は、
悪評、もしくは評価に値しないものとなってしまう。
① 太陽タイプ / ② 月タイプ
① 太陽タイプ
・『項目にあるもの』
・『見えるもの』
・『分かりやすいもの』
→ 評価されやすい
② 月タイプ
・『項目に無いもの』
・『見えないもの』
・『分かりにくいもの』
→ 評価されにくい
通知表が示す現実
通知表はまさに①の世界です。
①の評価が全てであり、
自己肯定感が満たされるのは
①が『優』だから、というのが一般的。
そしてそれは、
内外共にアピール出来る評価でもあります。
一方で②は評価されません。
②がダメな訳ではないのですが、
①の光が強すぎて、②は肩身が狭くなる。
いわゆる “貧乏くじ” を引いている状態。
誰かの成績が上がれば、
誰かの評点は相対的に下がってしまう。
「項目に無い項目」を救うもの
通知表の中で、
唯一『項目に無い項目』を救っているのは、
備考欄の『文章』ではないでしょうか。
評価は“担当者の見方”で変わる
学校の先生、親、面接官、人事、審査員、裁判官…。
どの立場であっても、
評価は担当者の『見方』によって変わる。
子供にとって、
『親』は最も身近な担当者です。
親の“見方”が一方向だった場合
もし親の見方が一方向だった場合、
子供がそこから外れた時、
どんな言葉を掛けるでしょうか?
MITSURUならこう伝えるかもしれません。
「この見方だと、こう見えるかも?」
「でも、別の見方だとこう見えると思う」
「パパとしては…こっちの方向になってほしいな」
「②のやり方なら、周りは驚かないからオススメ」
失敗の価値
失敗した時にこそ、学べる。
そして、
これからの傾向と対策を考えられる。
社会における②の価値
社会人になると、
②の役割は必要不可欠になります。
昭和の時代で言えば、
いわゆる『フィクサー(黒幕)』がそれに近い存在だったと考えられます。
令和の時代に求められるもの
しかし令和の今、
「多様性(=項目に無い項目)を認めよう」
という流れの中で、
①も②も兼ね備えた
『ハイブリッド型』 が求められているのではないでしょうか。
最後に
ご覧の皆様はどう思いますか?
是非コメントでお知らせ下さいませ。
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